石見銀山 観光

石見銀山遺跡の位置

石見銀山遺跡は、東西に長い島根県のほぼ中ほど、旧温泉津町、旧仁摩町を含めた大田市の広い範囲に分布しています。

その中心となる大田市大森町は、JR山陰本線大田市駅から約11kmの南西部にあります。

17世紀初頭には支配体制を確立するため、柵を巡らして柵内と柵外を区分しました。

この柵内(さくのうち)の範囲は、江戸時代の「正保二年石見国絵図(1645年)」によれば東西2.2km、南北2.5km、面積は約300haにもなります。

銀山柵内・・・・6世紀前半から本格的に開発され、20世紀まで操業された銀鉱山遺跡の本体。

江戸時代初め柵で厳重に囲まれていたことからこの名がある。銀の生産活動はもちろんのこと、生活・流通・信仰・支配に関わる遺構・遺物が良好に残る。

石見銀山遺跡が世界遺産に登録!

平成19年6月23日からニュージーランドで開催されておりました世界遺産登録委員会において、6月28日、石見銀山遺跡の世界遺産登録が決定されました。

(世界文化遺産;石見銀山遺跡とその文化的景観)

ところで世界遺産って???????

→「世界遺産」とは?

1972年、ユネスコ総会で採択された『世界遺産条約』(「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」)に基づいて、人類共有のかけがえのない財産として「国際的」に保護・保全していくことが義務づけられている「遺跡」や「建造物」、「自然」などのことを世界遺産と言います。世界遺産に登録されるには、ユネスコの「世界遺産委員会」において、資産の内容が、他に類例のない固有のものであり、国際的に決められた判定基準に照らして「顕著で普遍的な価値」があると認められることが第一の条件です。

また、資産の価値にふさわしい、有効な保存管理が手厚くなされていることも、必要条件となっています。

石見銀山の略歴

石見銀山の略歴

石見銀山は、延慶2年(1309)に石見の守護であった大内氏によって発見されたと言われるが、16世紀初頭に博多商人の神屋寿禎によって本格的な開発がはじまったとされている。

寿禎は朝鮮半島との交易を通じて積極的に技術の導入を試み、天文2年(1533)に伝来した精錬技術「灰吹法」は、銀産出量を飛躍的に伸ばした。

以後この灰吹法は、国内の鉱山技術の礎となった。

戦国期に入ると石見銀山の領有は大内氏から尼子氏に移り、その後毛利氏の支配となる。

本能寺の変の後、豊臣秀吉は毛利氏と和議を結んで、石見銀で大量の石州御公用銀を造り、朝鮮侵略の戦費としたといわれている。

関ヶ原の戦いの後、石見銀山は徳川幕府の管轄に置かれることになり、鉱山経営に長けた大久保長安による銀の増産が行われていった。

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